①「カミ」ではなく「天主」が提案される

聖書翻訳の中で難しいのは、聖書が言わんとすることを、どれだけ現地の言葉で、現地の人々に分かりやすく翻訳する事ができるかという部分です。上智大学のキリスト教研究所発行の「日本における聖書翻訳の歩み」という本によれば、原語(ヘブライ語・古代ギリシャ語)を全く忠実に翻訳しようとすれば、原語の文法通りに訳す事になり、当時の現地の文化や文法用法を説明しながらの翻訳となる為、完全に原語を翻訳する事は不可能だとの記述がありました。故に、聖書翻訳では、現地の人々がどうすれば、聖書が言わんとする事を理解できるかといった「目標・方向性」を立てて、翻訳作業が進められます。

そのような意味でも、ザビエルの日本宣教時より、日本人に伝わる「聖書言語」「教会用語」の翻訳を目的に活動がなされて来ました。「大日」の翻訳失敗で言語選択の大切さを学んだ宣教師達は①原語をそのままの発音で用いる方法、②現地のすでにある言葉を用いる方法 ③日本語においては新しい漢字を当てる方法 の方法を活用して翻訳にあたりました。

そのような過程でザビエルが「大日」で失敗したデウスの翻訳には「③日本語においては新しい漢字を当てて翻訳する」方法が試みられ、1581年頃には「Dios」を「天主」という全く新しい日本語で翻訳した形跡が「エヴォラ屏風文書」の解析で分かっています。

エヴァラ屏風文書の一部。この後、修復が行われた。
(論文 星槎大学紀要15_07研究_伊藤玄二郎 より) 

②ガゴ

宣教師たちがぶつかる翻訳の問題の中で大切な役割を果たしたのはガゴという宣教師です。彼は、聖書の核心的な言葉を安易に仏教を用いて翻訳する問題性を指摘しました。彼は1555年9月23日にイエズス会総長に宛てた手紙の中で聖書の核心的な言葉は安易に仏教用語を用いて翻訳することは、かえって宣教の問題点となり得るとして、仏教用語で翻訳されていた50以上の言葉を改めたと記されています。その流れはさらに強くなり、1556年に日本を視察した管区長ヌネスはイエズス会長に宛てた手紙で「カミ」を「Dios」と翻訳して用いる報告書を送っています。

つまり、聖書の核心的な価値観を語ろうとする時に、現地の日本人が使用している仏教用語では十分に表現ができない事が宣教師達に分かってきた時代でもありました。宣教師達が、仏教用語に置き換えずに、ポルトガル語やラテン語のまま用いようとした言葉には以下のようなものがありました。いずれも聖書の中で核心的な位置を占める大切な言葉です。
 
その裏で「パン」を「餅」と翻訳したり、「イチジク」を「柿」と翻訳したりと、何とか日本人に理解できる翻訳をしようとした痕跡が見られるのもこの時代の聖書の特徴です(パンを餅と翻訳したバレト写本はバチカンのデジタル図書館で読むことができます。以下のリンクを参照)。

【敢えてポルトガル語で表そうとした聖書の言葉の例】
Deus デウス(創造主)
Spirito スピリト(霊)
Paraiso パライソ(天国)
Oratio オラショ(祈り)
Penitentia ペニテンシャ(悔い改め/贖罪)


https://digi.vatlib.it/view/MSS_Reg.lat.459