終活セミナーが10月22日(日)午後12時半より行われました。名古屋のキリスト教専門の葬儀社、(株)さいわい企画の取締役社長の杉浦寿氏に来会いただきお話を伺いました。台風が近づいているあいにくの天気でしたが30名近くの方々が教会に残って下さり、終活セミナーを無事開催できました。葬儀とは一体だれが中心になるのだろうか…そんな話から始まり、召天された方の人生を導いて下さった創造主に感謝する時と残された遺族を慰める大切さなど、葬儀を準備する心の持ち方について学んだ後は、葬儀の実情についていろいろと質疑応答が交わされました。最近流行りの直葬について、また未信者の家族が亡くなった時には教会としてどうするのか…必ずぶつかるであろう問題点にも話が及びました。
未信者の葬儀を教会でするべきだろうか…いろいろな意見があると思います。私も最初は反対でした。なぜなら、牧師として未信者の方の葬儀の際に掛ける言葉が見つからないからです。天国に行ったとも言えませんし、いい所に行ったのでしょうとも曖昧には出来ません。聖書は死後の世界について非常にはっきりと語っています。それがゆえに、今、生かされている時が大切になって来るわけです。そういう思いがありましたので、未信者の方の葬儀を教会でするなんて・・・と思っていました。しかし、この終活セミナーを準備するにあたり、キリスト教の葬儀についてのDVDを見たり、何より土浦めぐみ教会の清野勝男子牧師先生が書かれた「キリスト教葬制文化を求めて(IPC出版センター/1000円)」を読んで考えが変わりました。神学的には、恵みには2つのタイプがあります。一般恩恵と呼ばれる生きている人なら誰でも受ける創造主の恵みと憐れみ(住む場所の地球を与えてくださった、空気を与えてくださった、家族・隣人を与えてくださった、生きながらえる体を与えてくださったなど)を受けて生きています。それに加えて救われた人々には特別な恵み(特別恩恵)といわれる救いの恵みがあるわけです。そう考えてみると、未信者の方も生きている間は少なくとも、一般恩恵は受けて生きて来られたという事です。それならば、葬儀を通して、人を生かして下さった創造主に感謝する意味での葬儀は可能なのではないかと考えるようになったわけです。もちろん、葬儀の場では「この方は天国に行きました」と言えませんし、軽々しき牧師が判断すべきものでもありません(だからと言ってセカンドチャンス論や煉獄説には反対ですよ!!)。ただ、その方のたどった人生を振り返りながら、創造主の恵みを振り返る葬儀ならば可能だと思うのです。
そういう流れで、創愛キリスト教会では、教会員の親族(3親等)までなら、ご家族の希望があれば教会で葬儀礼拝を執り行う事に致しました。800万人が後期高齢者になると言われる2025年問題も目の前に来ています。その先には死という現実が待っているのも事実です。皆、未信者のまま、葬儀礼拝をするのは私の本望ではありませんし、創造主もそうだと思います。ですから、私たちの家族も、そして、私にもいつか死と言う地上とのお別れ(天でのイエス様との再会)がある事を思えば、クリスチャンである私達は語り続けなければなりません。そう強く思わされました。
創愛キリスト教会では、終活セミナーに合わせ、「私の葬儀に備えて」というタイトルのエンディング・ノートを参加者に配布させて頂きました。私の葬儀はキリスト教式でお願いしたいと言う希望から始まり、好きな賛美歌、好きな聖句など葬儀の希望を生前に書き込んでおきます。また人生の証も残しておきます。1部は教会、1部はご自宅もしくは家族が保管して、その時には本人の希望に近い葬儀礼拝が出来るように準備しています。創造主が与えてくださった人生が、良き証になれば、嬉しいですよね。そう心から願っています。もし、資料が必要な方は、このホームページの「お問い合わせ」よりご連絡ください。