先週の日曜日、教会員連絡会が行われました。連絡会では、半年に1回、様々な活動をしている会の報告などが行われます。今年からは「感謝会」と名前を変えて、教会員の方の証や新しく洗礼を受けられた方、信仰告白をされた方、転入会をされた方々のご紹介なども行うことにしました。教会は、「キリストを中心とした共同体」とか「キリストの家族」とも呼ばれています。ですから、活動の報告だけの事務的な団体ではなく、隣の教会員がどのようにしてイエス様に出会い、今、どのようにイエス様と歩んでいるのかなどの証をしたり、聞いたりすることがとても大切です。そして、今も、イエス様が生きておられ、各個人に働いて下さっているばかりか教会にも働いて下さっていることを共に確認することも大切だと思います。今回は2名の方が証をしてくださいました。苦しみの中にあっても御言葉で支えられて生きている証、つらい仕事だけれども、教会のキャンプなどでその経験が用いられて感謝という証…本当に感動的な証でした。

天に召されて間もなく1年が経つ堀越先生の人生を描いた「妻が見たビジョンの人ー堀越暢治」の出版記念会が8月12日に開かれます。人の人生を振り返る時、2つの方法があります。その人がした「人間の業績」を振り返る方法と、その人を通して働かれた「主の御業」を通して振り返る方法です。今回、出版された「妻が見たビジョンの人ー堀越暢治」は、後者のように思います。この本には堀越先生の失敗についても隠すことなく書かれています。いろいろな試練や苦しみも書かれています。それを読んで、ある人は思うでしょう。「あの堀越先生でもこんな失敗をしたんだ」「あの堀越先生でもあんな苦しみがあったんだ」。それを通して、弱さを覚える私達が励ましを受けつつ、その失敗や苦しみを益と変えてくださった創造主の御業を見ることになるでしょう。

私達も、それぞれ与えられた人生を歩みます。でも、「自分の業績」を残そうとする人生は逆につらい人生になります。何か目に見える形で、他人に覚えられるものを残していかなければならない人生です。でも、「主の御業」を残す人生は、恵みがあふれる人生になることでしょう。人間の弱さのゆえに失敗しても、訳のない苦しみに出会っても、結局は「主の御業」がなされると信じ歩む人生。人に覚えられる必要もなく、何かを残す必要もありません。主によって覚えられ、主が自らの栄光を私達を通して表してくださるからです。最後に、私の好きな聖書の箇所を残したいと思います。
「創造主。私たちはこの耳で、先祖たちが語ってくれたことを聞きました。それはあなたがなさった御業ですー詩編44編1節」