2012年以降、当教会の宣教師・協力牧師として、またノアの箱船記念館の第2代館長として奉職してくださった孫斉賢牧師と奥様の尹一順姉が大阪の無牧教会へと転任されることが決まり、2019年9月29日に感謝会を行いました。
孫先生や尹姉との個人的な思い出をこちらに残したいと思います。
1.韓国の地で
孫先生・尹姉と初めてお会いしたのは、韓国のJMF(旧・日本宣教会、以下JMF)での集会でした。「今月、日本に帰ります。」 メッセージ中に悲しそうな顔でメッセージをされていた孫先生の顔は今でも覚えております。その後、JMFの週報に名前が記載されておりましたので、JMFでの祈りの時間に皆でお祈りしたのを思い出します。
2.日本の地で
それから約1年後でしょうか、2年後でしょうか、私が仕えておりましたJMFに孫先生から連絡がありました。「日本に短期宣教に来ませんか」 本来なら、JMFの総務が引率する短期宣教でしたが、この時だけは、私が担当する事になりました。これも創造主の導きであったと今では思います。孫先生のお声掛けで、堀越先生にお出会いすることができ、また日本の99%に、神ではなく創造主の名で、福音を伝えようとしている教会に出会う事ができました。日本に宣教に行くたびに「日本はどうすれば福音化されるでしょうか」と質問していた私にとって、答えとなる教会でもありました。
3.肉をほおばりながら
創造主の導きで、創愛に来ることが決まろうとしていた時、教会内で大きな問題が起きたことを聞きました。韓国の地に居り事情も知らず不安を覚えていた私でしたが、韓国で2回程、会って下さり「大丈夫だから!うん。大丈夫」とサンギョプサルをほおばりながらおっしゃったことを覚えています。私は不安で味もなにも覚えていませんが、孫先生が安心してもいいという言葉と、何も心配せずにおいしそうに肉を食べておられる姿に「何とかなるだろう」という楽観的な考えになった事を覚えています。不安になっていた私を安心させてくださる為に、わざとそのようにされたのかも…と思ってもいます。
4.四日市の地で
四日市の地に来て、何も分からない私たち家族を、孫先生や尹姉はいつもサポートしてくださいました。8年ぶりに帰国する私は携帯電話も住民票もありませんでした。市役所・住民センター、携帯ショップ何から何まで一緒に行ってくださいました。また、まだ引っ越して間もない私たち、料理道具もあまりそろっていない時には、尹さんのお手製のうどんをよく食べさせていただいたことを思い出します。アパートも近く、教会以外にもゴミ捨て場でお会いしたり、作ったおかずを持って来て頂いたり、お持ちしたり、普段のお交わりも楽しかったです。
教会では、いつも孫先生が様々な事を教えてくださいました。今は葉満先生のご自宅になった昔の事務所でいつも小さなテーブルを囲んで、様々なお話を聞かせて頂いたり、お話を聞いて頂いたりしました。昔の事務所の横には、化石が並べられており、それを観に国内・海外を問わず多くのお客様が訪問されました。それを見ながら、聖書をそのまま信じることは国を越えて地域を越えて、クリスチャンとして一番大切な事なんだ…と何度も思わされました。
今でもはっきりと覚えていますが、2015年に孫先生が2度目の甲状腺がんの手術を終えられて、創愛に帰って来られてしばらくして、突然、私に座るようにと促され、突然、こんなことを言われました。「私の創愛での働きはあと2年だよ」 なんの根拠があってこんなことを言われたのか、その当時は分かりませんでしたが、その2年後、孫先生は神学校に入学され、牧師の道に歩まれました。主が、前もって宣言されるようになさったのかもしれません。
今までを振り返ってみると、孫先生・尹姉の存在なくしては、私たちがここまで来ることはできませんでした。若造のこの者が60~70歳の方々のお話を十分に聞いたり、人生経験のない私が40~50代の方々の悩み相談の相手になど、なれるはずもなく、孫先生・尹姉が見えないところで支えてくださり、牧会してくださったおかげです。孫先生・尹姉がおられなかったら、何の能力もない私たちは、今頃、倒れていたかもしれません。心から感謝します。
5.召命の地で
孫先生・尹姉が大阪に行かれると聞いた時には、しばらく、ぼ~としてしまい、何の感情も湧いてきませんでした。このまま創愛はどうなるんだろうか、不安だけが心の中に満ちた3日間を過ごしました。しかし、主は日本の教会を愛しておられ、7900の日本の教会がある中で特に牧師の居ない無牧の教会に哀れみの思いを持っておられることに気が付かされました。そして何より99%伝道を謳っている教会なのですから、99%へ向かって飛び出していく先生ご夫妻を心から祝福しなければ…という思いに変えられました。
人間的には非常に寂しく、惜念の思いですが、孫先生・尹さんを通して、創造主がなさろうとしておられる計画が大阪の地で、十分になされます様に、心からお祈りいたします。