故 堀越暢治顧問牧師(1926年5月11日〜2017年8月30日)
1926年の5月、私は神主の息子として生を受けました。幼い時に母を亡くし、「いのちはどこから来るのだろう」「いのちの重さ」について考えてきました。時は戦争となり、私も陸軍士官学校に行く事になりました。しかし、終戦を迎えると、今まで優等生として扱われていた士官の私は、突然、戦争犯罪人として扱われるようになりました。「いのちの重さ」と「人の価値」という問題は、私が聖書の創造に出会うきっかけとなりました。
「私は猿の子孫か、それとも聖書の通りに創造主の産物なのか…」それを調べるために神学校へと入りました。四日市に牧師として赴任してまもなく60年になろうとしています。聖書の語る創造の真理は、私をここまで導いてくれました。
堀越暢治牧師は四日市キリスト教会の牧師として長年奉職された後、1999年5月に70余歳で「創造をベースにした教会形成」のビジョンを与えられ、創愛キリスト教会を創立。その後長きに渡り、創愛キリスト教会の牧師として奉職された後、2017年8月30日、召天。
宮崎聖主任牧師/ノアの箱船記念館 館長
1983年9月に、九州男児として熊本に生まれました。クリスチャンホームで生まれた私は、小さい時から教会で過ごしてきました。しかし、クリスチャンホーム特有の信仰に関する疑問である「本当に創造主という存在はいらっしゃるんだろうか」と思っていた時に、両親が離婚。絶望と怒りの渦の中で、創造主に深く出会い、牧師の道へと導かれました。その経験を通して、創造主に頼る人生の素晴らしさと人を赦す事を学びました。韓国で7年間滞在しながら、神学を学び、帰国。日本の福音伝道に「創造」という切り口から取り組まれている堀越牧師に感動し、弟子入りを申し出、今に至ります。
聖書の語る事が現実とぴったり合っている事が分かると、聖書は宗教の教典というより、私達の人生の説明書である事が分かります。人生の全ての解決は聖書にあります。特に日本の教会における「神の名」についての再検討の必要性を強く感じています。
●西南学院大学経済学部国際経済学科卒業
●総神大学神学大学院 神学科卒業 牧会学修士(M.Div)
●(前)ソウル神学大学 日本語学科 非常勤講師
●(前)Seoul Grace Hill Community Church 教育伝道師(小学生の部・ユース部門・教育部門ディレクター歴任)
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孫斉賢牧師/ノアの箱船記念館特別顧問(2019年10月より枚方の教会へ転任)
1957年3月に岐阜県高山市で在日2世として生まれ育ちました。文学が好きだった私は文学に救いを求めて、将来の夢も小説家になる事でした。その為、大学は早稲田大学の文学部に進みました。しかし、文学には救いはありませんでした。社会に出て仕事をしながら、自由奔放な生活をしていましたが、心の中には、本当の救いを追い求めていた気持ちがあったのかもしれません。夫婦の危機、次男の死を通して、イエス・キリストに救いがある事がはっきりと分かりました。その後、自分の大病を通して、献身へと導かれ、今に至ります。自分が創造された存在である事に気付かされると、自分の大切さ、他人の大切さがわかります。
(現在は大阪府枚方市で牧会中。ノアの箱船記念館特別顧問)