創愛キリスト教会では、「神」を「創造主」に読み替えた創造主訳聖書(2013年発刊)を用いて礼拝しています。創造主訳聖書は、尾山令仁牧師が翻訳された現代訳聖書がベースになっています。
創愛キリスト教会がなぜ「神」を用いず「創造主」という名で書かれた聖書を大切にしているか簡単に整理してみたいと思います。
1. 日本における聖書翻訳の歴史
多神教の文化の中で
1549年、日本にはカトリックの宣教師フランシスコ・ザビエルが上陸し、本格的な宣教が始まりました。当時の宣教師の苦悩は、聖書が語る「唯一なるお方」を、全ての物が神とされる多神教の国、日本でどのように翻訳して宣教するかという問題でした。デウスという外来語ではなかなか受け入れられないと考えた宣教師は「大日」という言葉を用いて宣教を始めました。しかし、この大日は当時の日本人には大日如来を想像させる言葉でした。聖書が語ろうとする天地万物を造られた唯一なるお方よりも、日本人にとっては、多神教の中のお一方と捉えられてしまったのです。その後、宣教師は再度、デウスという呼び名に戻し、当分の間宣教活動を行ったようです。
明治以降の聖書の翻訳
その後、「神」という言葉が問題となったのは、明治時代の事です。1887年前後に「明治元訳聖書」が刊行されます。当時の翻訳委員会で宣教師が提案した「神」とされる呼び名が採用されました。当時の翻訳委員会には「神の名」を日本人の立場から検討し、発言できる識者が不足していたとの報告があります。一旦採用された、この「神」という言葉は、多神教の文化で生きる日本人には聖書が語る主を示すには役不足でした。明治訳聖書の発刊後、「神の名」の検討を訴える人々はありましたが、本格的に「神」という言葉が、日本語話者にとって正しい翻訳であったかの根本的な議論がなされないまま現在を迎えています。
2. 主の名前の本来の意味に則して
私はあらゆる存在の根源である(出エジプト記3章14節)
聖書の中には、聖書が語る主がどのようなお方を示した箇所がいくつかあります。出エジプト記3章14節では、モーセという人物が主はどのようなお方かと聞いた時、主が直接「わたしはあらゆる存在の根源である(創造主訳)」とお応えになった言葉が記録されています。
日本人の思い浮かべる「神」は、自分達の必要に応じて人間が作り出す偶像です。ですから街中に「交通安全の神」「勉学の神」など神々が溢れ、必要に応じてさらに人間が神を生み出しています。
しかし、聖書が語る主は「天地万物を造られた唯一なるお方」です。お一方で十分、オールマイティなお方です。人間が必要に応じて作り出した神ではなく、創造主なる方が全てを造られたのです。果たして、そのお方を「神」という言葉で表現してしまう事は、創造主自らが語られた「わたしはあらゆる存在の根源である」という説明に合致しているのでしょうか。
3. 99%の方に聖書の真実を伝えるために(創造主訳聖書を用いる理由)
私たちの教会ではこのような理由で「神(人間の必要に応じて作り出される存在)」ではなく「創造主(創造主が全てを造られた、単独的な存在)」を使い、礼拝しています。創造主という言葉は、完全ではないにしても、聖書が語らんとする主の存在性に近く、また99%のキリスト教をご存知でない方々には、聖書の語らんとする「創造者であり、唯一の全能者」である主をはっきりと伝える言葉ではないかと思っています。
4. 出版の経緯(提案者・堀越暢治牧師の思い)
なぜ「創造主」なのか
韓国や中国にも「神」ということばが昔からあります。しかし、聖書が翻訳されるとき、あえて「神」と訳す代わりに韓国では「唯一の方(=ハナニム)」、中国では「上帝(※)」と訳されて、偶像神との混乱を避ける翻訳がなされています。英語の聖書でも、「God(創造主)」と「god(偶像神)」で使い分けがなされています。日本でもキリシタンの時代に、「デウス」「天主」と訳されていました。明治時代に聖書が翻訳されたとき、翻訳者は「神」と書いて「シン」と読んでもらうつもりだったそうです。しかし、ふりがながなかったため、人々は「カミ」と読み、その読み方が定着しました。
ところで国語辞典で「神」と引くと、いくつもの項目の最後の方に「キリスト教の神、創造主」と出てきます。逆に「創造主」と引くと「キリスト教の神」と出てきます。一般の人々は「創造主」ということばのほうが、聖書の「神」を指すことばだと思っているようです。そこで、聖書の内容が伝わるという見地から、「神」訳とは別に「創造主」訳が必要だと長年祈り求め、また多くの方々に訴えてきたのです。 そして私自身、「創造主」を用いるようになってから、福音が伝わりやすくなったと実感しています。
出版に向けて
2011年2月7日、有志が集まって「創造主訳聖書懇談会」が開かれました。そこで創造主訳聖書の是非について議論がなされ、多くの人に福音が届くために必要であるとの結論が出されました。それから2年にわたって審議が重ねられ、準備が進められてきました。そして、日本で初めて、天地の造り主を「創造主」と訳した聖書が出版されることになりました。
この「創造主訳聖書」を通して、多くの方々が創造主の与えられた愛と希望を知り、勝利の人生を体験してくだされば幸いです。
(堀越暢治)