①カトリックの翻訳でも翻弄される「GOD」の翻訳

中国語訳聖書の翻訳は後の日本語の近代聖書翻訳に大きな影響を与えました。前回のコーナーで説明したように、1549年にカトリックのザビエルが宣教を開始した時には、仏教用語である「大日」からスタートし、その後仏教の一派に間違えられる弊害があった事から「デウス」としたり最終的には「天主」と言う言葉を用いて、長い間宣教を行ってきました。
一方、中国では7〜9世紀に景教(ネストリウス派)が入ってきて、聖書の一部聖句は中国語に翻訳されましたが、景教が衰退した事もあって翻訳は進みませんでした。その後、17世紀になりカトリックの宣教師によって聖書の翻訳が熱心に行われました。デウス(GOD )の翻訳に中国語聖書も翻弄される事になります。「天尊」→「天主(礼典問題から「上帝は使用禁止に」)」→「神」へと翻訳されました。

②プロテスタント初の翻訳過程でも熱い議論が交わされる!

1822年になり、プロテスタント初の中国語翻訳聖書「神天聖書」が発行されます。イギリス系の長老派宣教師だったロバート・モリソンが翻訳に当たりました。カトリックの翻訳でも問題となった現地の言葉をそのまま受け入れるのではなく、聖書の言わんとする意味と合致しているかを検討しながらの翻訳でした。また、彼は「自らの翻訳が完璧ではない。故に後世に渡って改定される事を望む」とし、1840年第2回のモリソン訳「神天聖書」の改定委員会が開かれます。諸教派から12人もの委員が集められ、様々な議論が交わされました。
その中で一大問題を提起し、委員の退出を招いたのが「GOD」の翻訳でした。英国人宣教師メドハーストを代表する数人(のちにこのグループから出された聖書翻訳を「代表委員訳」と呼ぶ)は「上帝」を主張。その他エライジャやマイケルなどの宣教師が主張したのが「神」でした。結局、この問題で一致を見る事なくメドハースト達が発刊したのが「代表委員訳聖書」となります。エライジャなどが主張した「神」は、その後、アメリカ人宣教師の宣教地区で広まり、その後、日本語の近代訳聖書「明治訳聖書」に大きな影響を及ぼす事になります。

この「神」の名が日本語訳聖書に与えた影響については、海老澤有道が1981年に指摘し、1988年土岐健治・川島第二郎が具体的に検証を行なっています。論文も発表されています。

(以上は「現代中国語訳の聖書/沼野治郎/せせらぎ出版」を参考に記させて頂いています)