感謝な事に、教会の敷地が広いので、夕方くらいになると点検を兼ねて一回りする事があります。きれいな夕日が見れたり、トンボやカラスなどの動植物にも出会います。その中で、私が気に入っている木があります。木の種類も分かりませんが、教会の敷地の中で一番高い木です。でも、その木が植わっているのは、教会の敷地の中で一番環境の悪い場所です。今は土と草で覆われていますが、昔はゴミの山だったような所です。人間の目から見れば栄養もなく、何かが生まれてくるようにも見えない荒れ地だったのです。でも、今、その地で一番高い木が育っています。私も、宣教の為に、タイやインド、グルジアなど9か国くらいを訪問させて頂きました。特にタイの孤児院(児童養護施設)では、非常に劣悪な環境で生まれ、育っている子供達に出会います。でも、その中で、勇気をもらうのは、彼らが自分の居る環境を卑下したり自分の居る環境に不平不満を言って、人生を流れに任せて生きているのではなく、置かれた場所で一生懸命生きている姿でした。特にクリスチャンの孤児院を訪問すると、小学生くらいの子が「今ある環境に感謝し、大きくなればもっと他人の為に仕えたいです」なんて事を語ってくれます。ある人は言いました「日本人でよかった」。日本人だから幸せで外国人は不幸というなら、それは偏った見方になるかもしれません。日本の環境が自分に合っているという表現が正しいのかもしれません。全世界を造られた創造主ですから、世界の国々ひとつひとつを愛し、その民族を愛しておられると思います。その中でも、最も愛されるのは誰でしょうか。自分の与えられた環境に感謝し、そこで生き抜く人です。聖書には「御言葉を喜び、昼も夜も御言葉を深く思う。そのような人たちは、川の側に植えられた木のようだ。時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、することはすべてうまくいく(詩篇1篇2~3節)」とあります。どんな環境でも聖書を深く思い、聖書に生きる人は、教会の木のように、例え人間的な環境は劣悪でも、きっと善き人生となることでしょう。
「置かれた場所で咲きなさい」と言われた渡辺和子さんの言葉がぐっと心に迫って来るような気がします。