①日本書記に登場する「神」

日本書紀はA.D720年(養老4年)に記録された日本の歴史書です。古事記が完成してから約8年後に完成したと言われている、日本での初めての公式の歴史書と言われ、全部で30巻で成り立っている書物です。その第1巻には「神代(かみよ/じんだい)」という神から始まる天皇家の話が記録されています。その一番最初の部分に日本の神という存在がどこから来たかが記録されています(上記の写真の赤字の部分)。
「天先づ成りて土後に定まる。然して後に、神聖(かみ)、その中に生れます」という言葉が記録されています。これは「天地の開びゃくの時、天がまず先にできて、その後に地が固まって、その後神が生まれた」という意味です。つまり、日本の公式の歴史書とされている日本書紀では、天地が生まれ、そしてその後姿を現す存在が「神」だというのです。つまり、日本の神々は天地を創造した神ではなく、被造物(造られた存在)であるというのが日本の神概念です。これは「古事記」でも同じような記述が見つかっています。
(聖書における神の名の再検討より一部抜粋)

②日本人の神概念「多神教」

古事記でも日本書紀でも、神という存在は、全ての先に存在したものでもなければ、森羅万象が成立してから生まれてきたものという考えがあることから、日本人の文化の中には、神が出てくる以前の全ての被造物を大切に思う、さらにそれらを神的な存在として認識する「八百万の神信仰」が成立することになります。故に日本の文化の中では「神」という言葉の中にキリスト教が語ろうとする「唯一神」の概念は存在しません。
以下は神という存在について、本居宣長が古事記伝に記した箇所を取り上げてみます。

本居宣長が「迦微(かみ)と申す名義(なのこころ)はいまだ思ひえず」とし、「旧(ふる)く説けることども皆あたらず」といっているように、カミの本来の意義を語源的に断定することは、きわめてむずかしい。そこで宣長は実際の用例から神の定義を帰納的に導き出した。「さておよそ迦微とは、古御典等(いにしへのふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、それを祀れる社(やしろ)にまします御霊(みたま)をも申し、また人はさらにもいはず、鳥獣木草のたぐひ海山など、そのほか何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云(い)ふなり」といい、しかも「すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功(いさを)しきことなどの優れたるのみを云ふに非(あら)ず、悪しきもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神とは云ふなり」と『古事記伝』巻3に説いた。
(コトバンクより一部抜粋)

本居宣長の言葉を借りるならば、日本人の「神」という言葉の意味を断定することは難しいけれども、古典などの古い書物に記録されている神々にとどまらず、人や鳥獣木草、さらには尋常ではない物は全て神であるとまとめる事ができます。

(古事記伝の写真はWikipediaより)